オペラグラス越しのシリウス

焼き焦がされたいオタク

メンクリは早く薬を処方してくれ

私にとって、母親の言葉は心臓だ。

4、5歳くらいからついさっきまで、母親に言われた否定的な言葉は全部覚えてる。

時間が経てば、大人になれば、笑い話にできると思っていた。できなかった。

私が子供なままだからかもしれないけれど、未だに、何かをするたび「こんなことしたらどう言われるだろうか」と気にしてしまう。

母親がこれはよくないと言ったからこれはよくない。あれもよくない。だけど最近になって、これをしろあれをしろと言われるようになった。

昔、あれだけ否定していたこれもあれも、今さらできるわけない。

そんな事を言うと、昔のことを今さらごちゃごちゃ言うなと言われる。あんたには二度と何も言わないと言われる。

親のせいにするな。それはもっともだと思う。

だけど、母親の言葉はもはや心臓なのだ。一生変わることのない心臓。

同じく一生変わることのない目と脳は私。この三つが乖離をおこしてすごく苦しい。

でも母親には責任がない。私がわがままなだけ。

病気にしたのはそっちなのに、あんたといると病気になると言われる。

いいからそのまま病気になれよ。同じ苦しみを味わえよ。

自分の言葉に責任を持てず、怒鳴って過去のことだいつまでも引きずるなと抑圧するような親だけど、死ぬことは絶対許さない。母親の言葉から解放されるには、心臓を止めるしかないのにだ。

甘えることも逃げることも許してくれない。

私をこんな風に育てたのはお前だろうが。この先はあんたの番だ。私があんたの言葉に縛られるように、あんたはあんたが生み出した失敗作に縛られればいい。

私が死ぬのは母親目の前と決めている。この前失敗したけど。

父親はどうでもいい。とっくに血族と思ってない。

あーあ。私の人生、今よりめちゃくちゃな形で早く終わらないかな。

その時は彼によろしくするオタク

最近、応援している俳優さんと近しい人の結婚が続いている。

その俳優さんたちの結婚に対する感想はとくにないが(おめでとうございます)、「次はあの人の番だ」と震えている私から、その時を迎えてしまった私に伝えておきたいことがある。

 

まず、スマートフォンを落としたり投げたりしてはいけない。足の指に落ちたら痛いし、画面が割れたら修理費がかかる。ここは冷静に、被害は最小に。

 

それから、おめでたいと思うなら「おめでとう」と言えばいい。おめでたいと思わないなら「おめでとう」なんて言わなくていい。

私があの人の結婚に口を出せないのと同じように、誰も私の感情に口を出せない。

 

「あなたの結婚に私はショックを受けた!」

こういう時、「祝わないなんて本当のファンじゃない」って主張する人が現れる。

「『本当』の定義を明確にしてからに言ってくれますう?」と思うが、ファンなんて自己満足の塊を他人の物差しではかっても仕方ない。

 

そもそも結婚自体にも価値はない。

他人の結婚をおめでたく感じるのは、自分が当人達の嬉しそうな顔を見て「ああ、よかったね」と心底思うからじゃないのか。

「結婚=おめでたいもの」ではなく、「結婚する当事者への気持ち÷(当事者とのそれまで思い出+当事者への気持ち)=彼らの結婚に対する評価」だ。

結婚はマイナス(おめでたくない)にだって、ゼロ(どうでもいい)にだってなりうる。

言葉の上では「おめでたい」か「おめでたくない」かだけだが、内実は正負整数分数いろいろある。だから、「結婚ショックだな」と思っても全然間違いじゃない。

ただ、気をつけなければいけないのは、マイナスは他の人もマイナスにしてしまうことだ。本人に直接言ったり祝福ムードの中で言ったりすると、彼らの気分を害してしまう。

当然だが、攻撃的な言動は絶対にやめて欲しい。みっともないし、自分が惨めになる。

 

「結婚おめでとう!」

こういう時、「お金を出してないから祝える」って主張する人が現れる。

気持ちはわからないでもない。好きで頑張ってほしい気持ちがなければ、他人にお金は出せない。

でも、祝福できない理由にお金を引き合いに出すのは違うだろう。

自分の気持ちを示すにはわかりやすいバロメーターだけど、払ってしまったものは戻らないし、払った分の楽しみはもうもらったはずだ。

「お金を〜」の人は、結婚とこれまでを天秤にかけて、これまでの方が重かった人。お金を出していても、当事者の結婚の方が重い人は、「おめでとう」って言えてる。

結局、自分が結婚をどう受け止めて、気持ちと思い出をどう処理して、総合的にどう評価するかじゃないのか。

だから、(たぶんないと思うけど)あの人の結婚おめでたいと思ったら、素直に「おめでとう」でいい。

それにしても、結婚を祝福できない理由がお金じゃないとなんとなく許されないコミュニティって、ちょっと窮屈だ。

 

まだ伝えたいことはあるが、もうめんどくさいから、「結婚よかったね」でいいと思う。

「結婚よかったね(おめでたい)」「結婚よかったね(おめでたくない)」

どちらでもいける。便利な言葉があってよかった(喜び)。

 

あれこれ予防線を張ったが、もしかしたら今の私が心配するほど、その時を迎えた私は弱くないかもしれない。願わくは、そうあって欲しい。

 

 

おわり

 

 

水を得たオタク

先日、応援している俳優さんの出演舞台が大千穐楽を迎えた。

 

その俳優さんの舞台を見るのは半年以上ぶりだった。

半年の間にイベントはあったが、それでも、動く俳優さんを見るのは久しぶりだ。

私の観劇初日前夜は、「いつもどんな気持ちで観てたんだっけ?」「普通にしていれば大丈夫だよね?」とドキドキしていた。(オロオロのあまり、当日は開場時間の2時間30分前に劇場に着いた)

回を重ねるごとに不安は消えたが、彼の舞台はやはり特別なのだと思った。

 

私は「応援している俳優さんに対する感想はファンレターでしか明かさない」をモットーにしているため、ここで作品の感想を書くことはしない。

ただ、目の前の俳優さんと記憶の中の俳優さんとで、とてもいいギャップがあったことだけは記しておく。

 

正直、今までは、彼のミュージカルを観に行くことに義務感がつきまとっていた。

義務感だけで何公演分ものチケットを取るオタクは、いったい何に対して何を見出し、何を求めているのか。誰かに解き明かして欲しい気も、そっとしておいて欲しい気もする。

話を戻そう。

今までの私は、応援している俳優さんのミュージカルに及び腰になっていた。

だが今回、歌い出した彼を観たら、「あ。『次回出演ミュージカル』増やそう」という気持ちが自然にわいた。

その後、休憩時間に他の公演のチケットを取るという初体験をした。何公演増やしたのかは、私とぴあだけの秘密だ。

 

例に漏れず、観劇後はかなり落ち込んだ。(私は応援している俳優さんを生で見ると、様々な感情が爆発してしにたくなる性質)

初日観劇の翌日は熱が出て、「半年で彼の歌はあんなに上手くなってたのに、私は病院に通う回数が増えただけだった…」と悲しくなった。めんどくせ。

病むことしかアイデンティティにできないオタクは置いといても、半年ぶりの応援している俳優さんは本当に本当に素敵だった。

 

応援している俳優さんを見ていない間、他の俳優さんの舞台をいくつか観た。

その中には、心震える作品もあったし、頭の中で数字にどんどん3をかけていくゲームが捗る作品もあった。

だが、いくら涙で化粧が溶けようと、177147まで数えた記憶があろうと、お風呂の中では応援している俳優さんを見るまでのカウントダウンをしていた。

上でも書いたが、応援している俳優さん(の舞台)を見ていなかった半年近い時間は、彼はやはり特別だと再確認した時間でもあった。

 

応援している俳優さんの次回作まで、あとおよそ2ヶ月。

そこでは、さらにいいギャップを感じさせてくれるだろう。ボヘミアンライフを送った後の休憩時間にぴあを開き、秋の公演(次々回作品)のチケットを増やす私が手に取るように見える。

先日当選した彼のチェキに頬を緩ませながら、そんなことを思う今日この頃なのだ。

 

 

お(分かりいただけたであろう。このブログで一番言いたかったことは、「先日当選した彼のチェキ」の部分ということに…)わり